大山葉子は、約10年にわたりインドネシア・バリ島に通い、またある時はそこで暮らしながら、
バリ島のエッセンスともいうべき深層を、スピリチュアルな映像として作品化してきました。
今回は、Atma(魂)、Bhuana(宇宙)に続く、新作Muspa (祈り)を加えた3部作、いわばバリ島のシリーズの集大成とも云うべき写真展です。
*VITA(ヴィタ)はラテン語で「生命」を表わします。
●モノクローム作品(シルバー・ゼラチン・プリント)約60点
「かつてのオーストリア・ハンガリー帝国であり、リスト、コダーイ、バルトークなど、多くの音楽家を生み出したハンガリー。
その首都ブダペストは、往時のコスモポリタン都市としての香りを、今なお色濃く残している。
20代にリスト音楽院に学び、7年の歳月を過ごしたブダペストは、私にとって特別な地である。
数年後にリスト生誕200年を迎える事を知った2007年、当時の日々が瞬時に蘇り、14年振りの再訪を思い立った。
リストの楽の音に誘(いざな)われながら、彼が住居としていた場所にも足を踏み入れる。
私が好きなリストの代表曲のひとつ「メフィスト・ワルツ」の悪魔的旋律に身を任せていると、21世紀の現在はどこかへ飛び去り、
19世紀の空気が辺りを包み、全身を浸す。
さらに空想の中を漂っていると、祖先がアジア系であったハンガリー人(マジャル民族)と、
どこかで呼応する自身を感ずることが出来る。
モザイクの様に積み重ねられた時間の堆積と、音楽の生まれ出づる国の気配を捉えよう、とレンズを向けたが、
それは同時に自分がそこに居たことの記憶と、面影を求める自身の心の奥底への旅でもあった。
大山葉子」
「『万物に霊が宿る』とされるインドネシア・バリ島で、祭祀のたびに舞われるバリ舞踊。
この舞において何よりも重要なのは、『祈り』であり『捧げる』という心である。
バリ舞踊における、神々、宇宙との交感、万物の霊と波長を交差し響き合う瞬間、
そしてそこにある気配や込められている思いを捉らえたい、と撮影を重ねてきた。
目には見えないが確実に存在する人知を超えた力を感じ、印画に定着させる事。
作品制作は、その力の懐に抱かれる感覚を再現し、その力に少しでも近付きたい、
と願う事でもあった。
大山葉子 」
*タイトルのBhuana(ブアナ)はバリ語で「宇宙」を表す言葉。そこには大自然(外的宇宙)を表すBhuana Agung(ブアナ アグン)と人間の内面(内的宇宙)を表すBhuana Alit(ブアナ アリット)の2つの概念が存在する。
「Atma」
2006年1月13日(金)~28日(土)
Nichido contemporary art
「 自然と神と人間が一体となって暮らしを営んでいるバリ島にいると、私たちが忘れがちな或る事に気付かされる。この世の命あるものはすべて誕生と生と死の循環の中にあり、月の満ち欠けや潮の満ち引きと同じく、人も又自然の一部である、という感覚である。
赤道直下のバリにおいては、強い生命の輝きを放っている植物たちも又、人間と同様にさまざまな想いや邪念にうごめいているかのようだ。
そして月満ちる夜、新しい力を得て浄化され、さらに強い生命へと命を継いでいくのではないか。
そのような植物たちには命の本質である魂―Atma(アトマ)―が宿っているように見える。
肉眼では見ることの出来ない魂というものを何とか眼に見えるかたちにしたい。その想いを植物に託し、太陽や月や風の力に助けられながら撮影は続けられた。
大山葉子 」
「Silver Moon」
2004年9月7日(火)~9月13日(月)
新宿ニコンサロン
「大山葉子の撮る植物は、バリの漆黒の闇から、月に照らされ浮かび上がるかのような、銀色の光を放っている。そこには万物に霊宿るとされるこの島の持つ、濃密な時間と気配が漂い、花や葉は儚くも妖しげで、またどこか凛としたたたずまいを見せている。
それはこの島に魅せられ、何度も訪れ、またあるときは一年以上も住み、撮り続けた作者と自然との交感の末の結実であろう。花や葉はバリと作者の魂そのもののようにも見える。
松本路子 」
「Silver Moon
―バリの魂―」
2001年4月18日(水)~4月28日(土)
ギャラリー・オリーブ
企画、構成:松本路子
「万物に霊宿る島、バリ。赤道直下の太陽と濃密な空気の中で、作者はスピリチュアルな生命体として存在する葉や花に、心惹かれていった。凛としたたたずまいと熱帯の官能を内包したモノクロームの植物群は、バリ島の銀の光に照らされて息づく魂のかたちのようにも見える。
松本路子 」